1. 舞台から映像へー「質量」は見る人とのつながり

1. 舞台から映像へー「質量」は見る人とのつながり トークセッションの様子:白井 剛氏(写真左)と北野圭介氏(写真右)

竹下 ─ さきほどビデオダンス作品「質量, slide ,&  . in frames」が世界初公開されたことを機会に、これから作者である白井剛さんと、映像理論/表象文化論研究者の北野圭介さんをお迎えして、「映像と身体」をテーマに、本プロジェクトを振り返っていきたいと思います。
早速、お話を伺っていきたいと思うのですが、まず先ほど上映したビデオダンス作品「質量, slide ,&  . in frames」は、2004年に白井さんが発表した舞台作品「質量, slide ,&  .」を、映像として再構成した作品です。この舞台作品は、白井さんの身体をはじめ、 ボーリングの球や人形など、登場する“もの”が今回のビデオダンス作品とほとんど共通しています。ともにタイトルに「質量」という言葉が入っていることからお分かりになるかもしれませんが、身体がさまざまなものに関わっていったときに立ち上がる「質量」がテーマになっている作品ですね。

白井 ─ 僕の中には踊りたい自分がいて、それを人前で成立させたい、という欲望があります。そして、それに先立って、「動きの衝動」があります。そういった欲望や衝動を、舞台を見てくれる人と、どう共有できるのかということをいつも考えています。単純に、音楽に合わせて楽しく踊っている人を見ているだけで楽しくなるということもあるでしょうし、たとえば雰囲気のある照明の中に悲しげな表情で佇む人を見ると、人は悲しみを感じるかもしれません。しかし僕は、感情や音楽のためのダンスだけではなくて、「人は何で踊るんだろう」「ダンスとして立ち現れてくるそれは何だろう」ということを大切にしたいんです。それを踊る体と見る体との間で共有するためのキーワードとして「質量」という言葉を思いつきました。
自分にとって「質量」という言葉を言い換えると、「存在の感触」です。たとえば、目の前で人がコップを持っているのを見ると、「どれくらいの重さなのかな」とか、「これはやっぱり冷たいのかな」とか、色々なことを考えると思います。そうした重さとか質感といったものをきっかけにダンスを組み立てていくことで、重さや質感が何か身体的な繋がりを読み解くためのヒントになるんじゃないか。そう思って制作したのが「質量, slide ,&  .」です。
ダンスというとどうしても自己表現だと捉えられてしまうことも多いですが、僕が最終的に描きたいのは、「自己」ではありません。自己表現はそれで素晴らしいことではあるんですが、僕にとって、あるいはダンスにとって、「自己」や「表現」という言葉は、踊り手や観る人に対して、想像力をこわばらせ、身体を濁らせることが多い、と思っています。
僕が踊っている時にやろうとしていることは、たとえば舞台上で照明がつきました。人の体が見えました。音が聴こえてきました……といった一連の出来事が起きたとすると、その時点でそこに見えている、空間や時間の中に浮かんでくる次への可能性を瞬間瞬間で捉えて、それをそのまま正確に写生していくような感覚です。

竹下 ─ 今回の映像作品の制作にあたって、白井さんはまず、自分のダンスを撮影するためのカメラアングルをカメラマンと決めて、その前で踊って、そしてその撮った映像を自分で編集する、ということをされています。編集の際にも、そのような感覚が活かされているのでしょうか。

白井 ─ そうですね。なにかカットを並べたいというときは、映像の中に見えてくる流れやリズムのようなものを選んで編集していました。だから、今回の映像の編集は、踊っているときの感覚とあまり変わらないんです。ただ、扱う対象が生身の身体ではないということと、二次元であるということ、編集のときに時間をかけて何回推敲しても、映像の中の体は全く同じ動きをする、ということが違います。

竹下 ─ そもそもビデオカメラの前で踊るのは、舞台の上で観客を前にして踊るのとは、さまざまな点で大きく違うと思うのですが、その辺りはいかがでしょう?

白井 ─ いま、こうしてお客さんに向かって話している状態というのは、僕にとっては自分なりのスタンスを出しやすいんですよ。喋りではなく動きの場合も同じです。たとえば僕が舞台上にいて、そこにに置いてあるものを動かすとします。どのタイミングでどう触れて手に取るか、どう離すか、横にずらすか、それとも前に押し出すのか。こうした間合いや方向性というのを、お客さんが見ているわけで、つまりは見ている人の予測や期待や感覚の中で、僕が動くわけです。
僕はこれまで、観る人と自分とがいる「この」空間や時間、あるいは観る人と自分の中にある「その」空間や時間に自分が触れているような認識を持つことによって、一種の対話関係の中で踊る、という感覚が強くて、そういう中でダンスを考えてきました。ですから、撮影のときに、お客さんがいなくてビデオカメラの前で踊るというのは、相手のいない電話をしているような感じでもありました。
あと、撮影中に一番面白かったのは、ビデオカメラを回転させて撮った映像ですね。今回、僕自身が被写体でもあったので、撮影中はモニターにカメラからの映像を出して、それを確認しながら、踊ったり、アングルを決めたりしたのですが、カメラを回転させると、不思議と自分もモニターにつられて回転していってしまうんです。カメラを向けられているだけなのに、空間がゆがんでいくような感覚があって、予測できない体の形や動きが出てくるというのは、すごく面白かったです。そして、僕とカメラマンの呼吸やリズムや内的なイメージが共鳴したときに、ちょっとしたミラクルが起こるというか、そういう感じでした。