2. ダンサーの感覚を伝えるー即興的ダンスと撮影

2. ダンサーの感覚を伝えるー即興的ダンスと撮影 トークセッションの様子:北野圭介氏

竹下 ─ ここで、北野さんから作品をご覧になった感想や、白井さんに聞いてみたいことがあればお伺いしてみたいと思います。

北野 ─ まずは端的に、とても興奮したと言っておきたいと思います。映像表現という観点から見ても、編集やカメラワークが安定していましたし、それと同時に斬新と思われるような技法も多数盛り込まれており、驚きました。また、ダンスという観点から見ても、圧倒されたと吐露せねばならないものであったと言っておきたいです。それらがダイナミックに、映像とダンスが交差した「ビデオダンス」なるものが、かくも瞳を奪う達成をあげつつあるのかと驚きを禁じえませんでした。
それを断ったうえで、質問をしたいのですが、たとえば、コンテンポラリー・ダンスの技法に「コンタクト・インプロヴィゼーション」というものがあります。舞台上でダンサー同士が即興的に接触しながら、お互いの身体の質量を交換する形で展開していくという技法ですね。白井さんがさっきおっしゃった「ものとの関係」というのは、このような即興なのでしょうか。それとも、振付家として、白井さんの中で展開のラインがある程度は決まった上でなされるものなのでしょうか。

白井 ─ 基本的にはインプロヴィゼーションの感覚というか、「何が自分に起こるんだろう」というスタンスを忘れないように踊っていますね。たとえ振付が決まっていたとしても。たとえば、いまテーブルの上にコップがありますけど、(実際に手に取って)これを床に置いてみましょう。あと、ボーリングの球もあるので、これも床に置きます。それで、このコップの前に立とうとしたときの、立ちたい位置と、ボーリングの球の場合の立ちたい位置は、やっぱり違うんですよね。自分の体に反応を聞く、ということだと思います。
このコップはガラスでできていますから「倒したら割れるかも」という印象も体に入ってきます。コップには水が入っていますから、水が持つイメージも広がってきます。水を飲みたいと思うか、水に触りたいと思うか、それとも水面を見ているうちに体が揺れ始めるかもしれない。もうちょっと誤解してみて、このコップに入っている水は天井からの雨漏りかな、と想像を広げてみたら今度は上が気になって見上げたり。自分の五感や神経、筋肉や骨の感覚、想像、連想から、どういう動きの可能性が生まれてくるかを探るうちに、それが振付に発展していく、整理されていく、という感じです。

竹下 ─ 撮影中の様子を振り返ると、何をどう撮るかを事前にしっかり決めるというよりは、セットである空間の中に、白井さんとさまざまなものがあって、そこからどういうダンスが発生していくのかを、とりあえず撮ってみよう、という感じで進んでいきました。
ビデオダンス作品には、ダンサーが監督となり、自らが被写体となって、そのダンスを撮影したものと、ダンサーが自分の身体感覚みたいなものを表現したもの、大きく分けてこの2つのアプローチがあると思います。今回の作品の場合、前者のようでもあるのですが、どちらかというと後者で、舞台では伝えきれないようなダンサーの感覚、ダンサーが本番中にどんな感覚でものと戯れながら踊っているのか、といったことを伝えていく作品だと思いました。

白井 ─ 映像の中で「重さ」が伝わるにはどうしたらいいんだろうか、ということをYCAMの皆さんと話していくうちに「じゃあ斜面をつくって、そこに立ってみたらどうか」というアイデアをもらって、やってみることにしたんです。実は映像に出てくるあの舞台は傾斜がついているシーンもあるんです。水平に映っているんだけど、実は斜めという映像的なトリックを提案いただいて、そこで起こる体の違和感や、舞台ではできない動きやアングルを試したり……カメラを回転させるアイデアも、そうやって発展していきましたね。

北野 ─ ノイズ音やフリージャズみたいな音楽がかかっている真っ暗のシーンがありますよね。あのシーンは、カット割りとかパンニング、指先の動きや、かがんだりする動作が、パーカッションに巧みに合っていましたが、あのシーンは後で映像を見ながらミュージシャンが演奏したんですか?

白井 ─ そのシーンは撮影時に音楽をかけて踊ったものです。確か4テイクほど撮ったと思います。変則的なリズムの曲ですが、音の展開は覚えていて、踊り方も自分の中では大体決まっているのですが、 音を聴きながら体を反応させて行くとき、毎回微妙に音の取り方や動き方が違っていて、編集のときに同時に再生してみたらとても面白かった。微妙に違うそれらのテイクを、レイヤー状に重ねることで編集したシーンです。
そのようにBGMをかけながら撮影したシーンも少しありますが、無音で撮影して、後から音楽をかぶせたところが多いです。音楽なしで踊った場合、カウントなど客観的に動きの間合いを固定できる対象はありませんが、仮に自分で意識していなくても無意識的には時間が決まっているんです。つまり、座ったり立ったりといったタイミングは、体の中の、あるいは動き自体の中の、固有のリズム感に規定されていて、それは無意識であるからこそ、かえって正確だったりします。それに音楽をかぶせたときに、ある動作は音とズレているんだけれど、その次に起こる動作は合った、合わせてはいないが不思議とグルーブ感がある、といった感じで偶発的な関係性が起きたりします。音楽と動作のリズムを出会わせたときの、そういった「うねり」を楽しんでやっていましたね。

北野 ─ そうした点をうかがっていると、全体を統括するような前もってのプランニングやストーリーボードを事前につくらなかったからこそ、白井さんがテクノロジーを媒介に、自身の身体とその映像イメージとを往復しながらつくりあげていくことができた、そう言って良いということでしょうか。

白井 ─ そうですね。撮影をしながら全体像を探っていって、でも全体像が見えないまま撮影が終わってしまい、編集していく中で全体像が見えるかなと思ってやってみたら、そういうわけでもなく、いろいろとつくりかえたりしているうちに、ようやく全体像が見えてくるという非常に効率の悪いつくり方をしていました。